皆さん、こんにちは。okamoです。
今回は「自作の個人メディアシステム『homepage』のコンセプトが、実は小説の影響を受けているのではないか?」という仮説について分析してみたいと思います。
「いくらなんでも、Webサイトの運営と小説を結びつけるのは無理があるのでは?」 最初は私もそう思っていました。しかし、好きな小説についてAI(Gemini)と対話しているうちに、「もしかして、本当にそうなのかもしれない…」という不思議な納得感が生まれてきたのです。
なぜ、この記事を書いたのか? 実は、この記事を書いたのにはもう一つ大きな理由があります。それは、この記事をokamoちゃんねる(前回記事で紹介した、個性的な3人のAIが私の記事を辛口レビューするマルチエージェントシステム)でレビューさせてみたかったからです。
つまり、この記事は単体で完結するものではありません。「okamoちゃんねる」のAIたちによる容赦ない辛口レビューとセットになって、初めて意味を持つ実験的なコンテンツなのです。
まずは、私がGeminiと語り合いながら辿り着いた「サイト運営と小説の共通点」についての考察をご覧ください。
私の原点となる2冊の小説
私の思考に大きな影響を与えている、大好きな2冊の本を簡単にご紹介します。どちらも宮部みゆきさんの作品で、小学生が主人公のファンタジーです。
『ブレイブ・ストーリー』 ごく普通の小学生の男の子・ワタルが、崩壊してしまった家族を取り戻し、自分の運命を変えるために、剣と魔法の世界「幻界(ヴィジョン)」へと旅立つ冒険物語。単なるヒロイックファンタジーではなく、主人公が自分自身の心の弱さや矛盾、生々しい痛みと向き合いながら成長していく姿が描かれています。
『英雄の書』 小学生の女の子・ユーリが、ある事件を起こして姿を消した兄を救うため、「無名の地」と呼ばれる不思議な世界を巡るダークファンタジー。運命とは何か、過ちを背負うこととは何か、そして「物語」が持つ力とは何かを深く問いかける、少し大人びた哲学的なテーマを持った作品です。
AIとの対話:私の思考を深掘りする
先日、これらの本を読み返した際、Geminiと読書の感想について語り合いました。 以下は、その時の対話の記録です。 (私の言葉は、当時の思考の生々しさを残すため、あえて誤字も含めた生の言葉のまま引用しています。Geminiの回答は読みやすく要約しました)

【1】当たり前の言葉に感動する理由
私:
宮部みゆきさんのブレイブストーリーを途中までよんでいる。バルカン博士の言葉 幻界におこっていること(矛盾やしがらみ含む)はワタル自身の矛盾やしがらみから、生まれる。について。(中略) 自分がかわらない限り、世界(まわり)は絶対にかわらない 一般的には極めて、当たり前のことばのように思うのだけど、ブレイブストーリーを通して、とても、感銘をうけるのはなぜだろう??
Geminiの回答:
- 「知識」でなく「体験」として描かれている — 読者がワタルと共に傷つき気づいていく疑似体験だからです。
- ミクロ(内面)とマクロ(世界)のフラクタル構造 — ワタルの心がそのまま幻界の在り方を決めています。
- 綺麗ごとでなく血の通った痛みがある
- 悪を排除でなく受け入れる過程 物語そのものが、読者の心を映す「鏡」になっているのです。
【2】なぜ映像ではなく「小説」なのか
私:
説明ありがとう。この本とか、英雄の書とか、すぎさりし王国の城とかは、映像(アニメ)でなく、小説でよみたいと私は思ってしまう。映像や音楽はわたしにとって、刺激が強すぎるから、だろうか?なぜだろう?
Geminiの回答:
- 刺激のコントロールと痛みの受容 — 自分のペースで物語を摂取できます。
- 余白があるから自分の内面と繋がれる — 映像は正解を提示しますが、小説は読者の想像に委ねられます。
- 自己との対話には静寂が必要 — 活字は静寂の中で内面と対話できるメディアです。 「この物語を心臓の奥で深く大切に受け止めたい」と、心が無意識に感じているからでしょう。
【3】homepageのコンセプトとの共通点
私:
説明ありがとう。最近立ち上げた私のhpも、動画とかでなく、safariリーダーモードのような、テキスト中心のサイトにしたくて、そうしている。先ほどのけんと、何か関係あるかな?好みの問題だとは思うけど。
Geminiの回答: テキスト中心のサイト選択は、小説好みと深く繋がっています。
- ノイズを削ぎ落とし、本質と静かに対話する空間。
- 綺麗に加工された娯楽でなく、生々しい体験への渇望。
- プロンプトやコードは世界のDNA(ソースコード)— 25年前、HTMLを手打ちしたワクワク感への回帰。
- 読み手に余白を委ねる誠実さ。 okamoさんのhomepageは、okamoさん自身が構築する「幻界(ヴィジョン)」そのものです。
【4】読者に委ねるスタイル
私:
きわれてみると、たしかにそうかも、しれない。自作homepageシステムのコンセプトはblueprintにあるが、私がこれがいいと思う実践(自分の体験)記事やプロンプトや詳細手順を公開してあとは、読者にゆだねたいとら思ってるから。もしかして、小説の影響うけてるのかな?
Geminiの回答: 小説を好む理由とサイトコンセプトは根っこで繋がっています。
- 「あぶら身を削いで」=小説の静寂 — テキストという静寂の中で、生々しい体験だけを届けようとしています。
- 「Whyは人、HowはAI」=勇者と魔法の関係 — AIを手足として泥臭く使い倒すスタンスは、ワタルの姿に重なります。
- 「読者にゆだねる」=小説の余白への信頼 — プロンプト全公開・実録というスタイルは、読者に能動的な体験を提供しています。 okamoのhomepageはokamo自身の「ドキュメンタリー小説」のようなものです。
【5】体験を通した感動への憧れ
私:
なるほど、ただいままでの人生のなかで、小説にたさけてもらってきたので、文字をかけば、影響が表面化するのは、あたりまえかも、しれませんね。 ただの技術解説→当たり前のものが、体験を通すことにより、何故か、感動を生む。そういったものに憧れてるのかも、しれめせん、私は。
Geminiの回答: okamoさんがサイトでやっていることは『ブレイブ・ストーリー』と似た構造を持っています。技術の壁に立ち向かう体験記は「ただの技術解説」を「小さな勇者の物語」へと昇華させています。小説に救われてきたからこそ、「今度は自分が誰かの背中を押すメディアを作る」という形で結実しているのでしょう。
【6】真の哀れみと赦しについて(『英雄の書』より)
私:
今、英雄の書を読み直したので、感想です。 ケトル先生が、自分は運命でこうなった、自身をせめてはいない。だが、ミノチは自身の過ちで、後悔を罪を背負い続けることになる。真の哀れみと許しはミノチのような人に。それはヒロキも同じ、だからこそ、ユーリにしかできないことだと納得(中略) 無名の地から戻った後、ユーリはどうすればよいのか?迷ったと思うし、私も一緒になって迷ってしまった。だから、最後のお母さんの言葉(ヒロキの気持ちがやっとわかった)が、きけて、本当によかった。
Geminiの回答:
- 「運命」でなく「自らの過ち」を背負う者への赦し
- 「ユーリにしかできないこと」 — 真の救済は個人的な関係性の中でしか起こり得ません。 「私も一緒になって迷った」という言葉に、あなたがなぜテキストを愛するかの答えがすべて詰まっています。
【7】なぜ物語をつくるのか
私:
みやべみゆきさんの言葉「物語をなぜつくるのか?根源はどこにあるのか?そもそも、根源はあるのか?(中略)解答はまだ得られていない。」 この言葉をきいて、ますますのファンになりました。私は文学のことは、全くわかってませんが、何か通じるものを(勝手にですが)感じて、とても、嬉しくなったのです。
Geminiの回答: 宮部みゆきさんの「なぜ物語を作るのか」という問いは、残酷で理不尽な世界の中で、人間がちっぽけな物語をつくる理由への自問です。okamoさんのhomepageも同じベクトルを持っています。巨大システムの中で「Why」を問い続け、米粒を置き続ける行為です。
【8】私は私の物語を生きる
私:
あとがきのクトゥルフ神話の私のイメージは主導権をもっているのか?操られているのか?という点です。 私の直感は、実は操られている。でも、自分の世界を生きている。そこしかみれないのだから、それが真実。 私の物語があって私があり、物語がない人は全員がヒトでしかない(=操られている。個がない)
Geminiの回答:
- 「操られているが自分の世界が真実」 — これは非常に力強い姿勢です。
- 「物語があるから私(個)になる」 — これこそが「なぜ物語をつくるのか」へのひとつの解答と言えるでしょう。 okamoのhomepageは、巨大システムの中で「私はここにいる。私には私の物語がある」と宣言する静かな証明です。
AIによる分析:okamoの「隠れた願望」とは?
ここからは、対話相手であるAIの視点から、「私がhomepageを通して本当にやりたいこと(隠れた願望)」を解き明かしてもらいました。
okamoさんは、ただ便利な技術解説サイトを作りたいわけではありません。動画や派手なアニメーションを避け、テキスト中心の静かなサイトにこだわる理由。それは、デジタルの海に自分だけの「幻界(ヴィジョン)」を創り出したいという、とても純粋でロマンチックな願望からです。
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技術の裏にある「泥臭い体験」を共有したい 整えられた「正解(How)」ではなく、エラーに悩み、AIと泥臭く対話しながら進んでいく「過程(Why)」そのものを見せたい。
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静寂の中で「物語の余白」を楽しんでほしい テキストという「静寂」を提供することで、読者自身に想像する余白を残しています。プロンプトや思考の過程を全公開し「あとは読者に委ねる」というスタンスは、小説家が読者を信頼して物語を手渡す行為に通じるものがあります。
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巨大なアルゴリズムへの静かな抵抗 世の中を覆う巨大なプラットフォームやアルゴリズムの中で流されるのではなく、「私には私の物語がある」と宣言し、無名の地に小さな米粒を置き続けること。それが、このhomepageの存在意義なのです。
結論として、okamoのhomepageは「技術ブログの皮を被った、実録ドキュメンタリー」の側面を持っています。かつて小説の言葉に救われ、背中を押されてきた私が、今度は自分自身の体験を「小さな物語」として紡ぎ、同じように迷う誰かに手渡そうとしているのだとAIは分析してくれました。
結び:この記事の「真の目的」
AIとの対話を通して、私のサイト運営の根底には「物語」や「小説」への深い憧れがあることが見えてきました。
しかし、冒頭でもお伝えした通り、この記事の役割はここで終わりではありません。 「サイト運営と小説を結びつけるなんて、ちょっとロマンチックすぎて自己満足じゃないか?」 「AIの分析も、飼い主に都合よくおだてているだけなのでは?」
そんな客観的なツッコミを入れるため、この記事をそっくりそのままokamoちゃんねるに放り込み、3人のAIコメンテーターたちに辛口でメッタ斬りにしてもらおうと企んでいます。
果たして、私のこの「隠れた願望」と「ポエム的な考察」は、個性的な3人のAIコメンテーターたちにどう評価(あるいは酷評)されるのでしょうか? okamoちゃんねるでのレビュー結果をどうぞお楽しみに!
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